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ネオンの街の知られざるルーツ——川面からひもとく「中洲」の歴史

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みなさま、こんにちは。

「博多川下り」広報担当です。

 

夕暮れとともに鮮やかなネオンが川面に映り込み、屋台からは香ばしい匂いが漂う——。

全国的な知名度を誇る九州最大の繁華街「中洲」ですが、その成り立ちをご存知でしょうか。

 

実はこの街、江戸時代初期までは那珂川の河口に浮かぶ、何もないただの「砂洲(す)」でした。

今回は、船の上から眺める景色が少し味わい深くなる、中洲の歴史のストーリーをお届けします。

福岡と博多をつないだ「架け橋」として

中洲の歴史は1600年(慶長5年)、初代福岡藩主である黒田長政が福岡城を築城した際に始まります。

当時、那珂川を挟んで西側には武士の街「福岡」、東側には商人たちの街「博多」が広がっていました。

 

長政はこの2つの街を行き来できるよう、中洲に人口の島を造り、橋を架けたのです。

中洲は単なる繁華街ではなく、武士と商人の文化が交差する「架け橋」として生み出された街でした。

劇場街から、九州一の歓楽街へ

明治から大正時代にかけて、中洲は大きな変革期を迎えます。

 

劇場や映画館、寄席などが相次いで開業し、一気に「文化と娯楽の拠点」へと進化を遂げました。

 

「中洲に来れば新しいエンタメに出会える」と、九州各地から人々が集まるようになり、

戦後の復興期には川沿いに屋台が立ち並ぶ現在の賑やかさへとつながっていきます。

水上から見上げる「過去と現在の交差点」

博多川を下っていると、近代的なビル群の足元に、かつての護岸の面影や趣ある橋の装飾を見つけることができます。

歩道から見下ろす街並みとは異なり、水面という低い視線から見上げる中洲は、かつて船で行き交った先人たちの記憶を今に伝えているかのようです。

 

ご乗船の際は、ぜひ川面に映る景色とともに、この街が歩んできた400年の歴史に思いを馳せてみてください。

 

皆さまのお越しを、スタッフ一同心よりお待ちしております。